「マルガリータ美穂」として生きていくと決めた
離婚したのは、子どもたちがまだ小さいころだった。
身寄りのない土地で、私ひとりで育てると決めた。
不安がなかったといえば嘘になる。それでも、毎日に張り合いがあった。
子どもたちの笑顔が、私の朝をつくっていた。
苦労も多かった。でもあの日々は、間違いなく「生きていた」と感じる時間だった。
私がまともに生きてこられたのは、子どもたちのおかげだと、今も思っている。
目標にしていた日が、来てしまった
「子どもたちが高校を卒業するまで」——それが、ずっとの目標だった。
そのためだけに走ってきたといっても過言ではない。
だから卒業式が終わったとき、私の中は真っ白になった。
次に何をすればいいのか、わからなかった。
自分が何者なのかも、わからなくなっていた。
その後、信頼していた身内からの裏切りもあった。
詳しくは書かない。ただあのころの私は、足元がぐらぐらしていた。
やっと立ち直って、ようやく自分のことを考えはじめたのが、50歳を前にしたころだった。
さて、これからの私は、何をしようか。
長女の一言に、絶句した
そのとき、今の夫と出会った。
隣の県の岡山に一緒に住もうという話になったとき、
私は全く乗り気ではなかった。時々会えたらいい。
でも彼はとても誠実な人で子供たちとも仲良くしてくれていた。
長女が言った言葉に、私は言葉を失った。
「よかった。実は私、異動願を出して、関西に行きたいと思っていたの。
でもお母さんを置いていけないと思っていた」
娘は、ずっとそう思っていたのか。私のそばを離れられないと、思っていたのか。
胸が痛かった。と同時に、気づいた。
私は、子どもたちの「足かせ」になっていた。
自分では精一杯やってきたつもりだった。
子供たちには「好きに生きていいよ」と言っていたつもりだった。
でも、子どもたちを守ろうとするあまり、いつの間にか子どもたちが私を守ろうとしていた。
その日のうちに決めた。すぐに岡山へ行こう、と。
親離れ、子離れ。言葉では知っていた
でも、それが本当に何を意味するのか、長女の一言で初めてわかった気がした。
愛情と依存は、気づかないうちに混ざり合う。
子どもたちのために生きてきた私が、子どもたちの人生の重荷になっていたのだ。
岡山に来て、夫と新しい暮らしをはじめた。
そしてそこで私ははじめて、
「お母さん」でも「誰かの娘」でもない、ただの「わたし」として生きることを、
自分に許した。
50代からが、本番だと思っている
これまでの人生が無駄だったとは思わない。
苦労も、裏切りも、真っ白になったあの日も、全部今の私をつくっている。
ただ、これからは——誰かのためではなく、自分の軸で選んでいく。
体を整えること。暮らしを整えること。内側から輝いていくこと。✨
同じように、誰かのために走り続けてきた40代・50代の女性に、
私の経験が少しでも届いたら嬉しい。💕
もし今「私はどこにいるんだろう」と感じているなら、ぜひLINEで話しかけてきてください。
起業して30年、エステサロンで20年、
たくさんの女性の声を聞いてきた私が、まずお話を聞きます。❣️
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