辞めようと思ったことは、一度や二度じゃない。
でも正直に言うと、辞める暇もなかった。
「それしかできなかった」から始まった
30歳で離婚した。同時に、起業した。
順序が逆に聞こえるかもしれないけれど、私にとってはそれしか選択肢がなかった。
それまでの10年間、ハタチで田舎へ嫁いだ私は家業の生花店を手伝っていた。
だから社会に出て働いた経験が、ほとんどなかった。
履歴書に書けるものが、花屋の仕事しかなかった。
子どもは8歳、6歳、5歳の三人。当時は学童保育もなく、
身寄りのない土地で、子どもたちを見てくれる人が誰もいなかった。
就職は無理だと思った。田舎だから勤め先も少なかった。
それに、元夫の借金まで抱えていた。
立ち止まって考える暇なんて、なかった。
実家には離婚を反対されていて帰る場所もない。
泣いている時間も、悩んでいる時間も、なかった。
プレハブ小屋から、始めた
友人のつてで、土地を借りることができた。
100坪の土地に、プレハブをくっつけて店を作った。
ビニールハウスを建てて花苗を並べた。
それが私の出発点だった。看板を出して、
チラシを作って、お客様を待った。
来てくれる保証なんて、どこにもなかった。それでも、やるしかなかった。
無邪気に笑っている子どもたちのために。
辞めたいと思った夜のこと
経営が苦しい時期は、何度もあった。
子どもが熱を出しても、自分が体調が悪くても店は開けないといけない。
設備が壊れて、修理代が払えるか不安な夜があった。
子供が小さい時は寝るまで一緒に内職をしたこともある。
子供が大きくなってからは、夜にお客さんの飲食店に手伝いに行ったこともある。
生きていくために何でもした。
朝になると、子どもたちが起きてくる。
ご飯を食べて、学校へ行く。
その背中を見送るたびに、思った。
よし、今日も頑張ろう。
それだけだった。ただ、目の前の三人を食べさせなければならなかった。
それが、続けてきたたったひとつの理由だった。
30年経って、気づいたこと
あのプレハブ小屋から始めて、30年が経った。
今思えば、あのころの私は無謀だった。
資金も、経験も、人脈も、何もなかった。
あったのは、追い詰められた状況と、子どもたちの笑顔だけだった。
でも、その無謀さが私を育ててくれた。
ある日
「神経科の病院へ行くか、ここへ来るか迷ったの。ここへきて良かった」と言ってくださったお客様。
日曜日になると子供たちを教会へ連れて行ってくださった。
他にもホームパーティーに呼んでくださったり、
スキーやキャンプにも家族と一緒に連れていっていただいた。
子供たちは本当にたくさんの方にお世話になりました。
「続けることができた理由は何ですか?」と聞かれることがある。
いつもこう答える。
子どもたちのおかげです。そして、来てくださったお客様のおかげです。
それ以上でも、それ以下でもない。
同じように、追い詰められている人へ
もしかして今、追い詰められていますか?
先が見えなくて、どうすればいいかわからなくて、
もう限界だと感じていますか?
私はあなたに「頑張れ」とは言わない。
あのころの私に、誰かがそう言っても、きっと響かなかったと思うから。
ただ、こう伝えたい。
今日一日、続けただけでいい。
体も心も、ギリギリのところで踏ん張っている女性の話を、
私はずっと聞いてきた。
エステサロンの施術台は、そういう場所でもある。
もし誰かに話したいと思ったら、LINEで声をかけてきてください。
ただ、聞きます。
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